科学者が人間であること 中村桂子

科学者が人間であること


夏といえば読書感想文。自分が子供の頃は適当にしていたものですが、大人になってみれば「ちゃんとやっておけばよかった」ものの一つかもしれません。

ところで最近ではSTAP問題、また原発事故などもですが「科学信仰と科学不信」が両方過剰になっているのかもしれません。でも、考えてみれば科学は「人間のすること」で、「過剰な信仰も過剰な不信」も、不完全な人間にありがちなことではあります。

ということで、第一線の科学者による科学の解毒剤のような本がありましたのでご紹介。

「科学者が人間であること」(中村桂子著 岩波新書)

人は生きものである

人が自律的に生きる現代、過度に文明社会に適応してしまっては、本来の「生き物である」という感覚を忘れがちです。 今の社会では科学の進歩による恩恵はあるとしても、逆に「科学的に保証されたもの」に振り回され、「生き物として生きる」という感覚を忘れ、何も考えず数字をうのみにするようになっています。

だからといって、軽率な「科学不信」もバランスを欠いたものです。 日常感覚と、それを「生命科学」を通して考えるための方法として、著者は「生命誌」と、それを絵にした「生命誌絵巻」を提案し、そこから読み取れることを伝えています。

すべての生物の祖先はひとつ

生命誌絵巻
まず、ひとつ目は、地球上での「生物の始まり」は三八億年前に海中に存在した「祖先細胞」にあることです。今いる多種多様な生物は、ひとつの細胞から生まれた仲間であり、現在の生物学の基本になる考え方でもあることです。

たとえば今、私達の周りに無数に存在するバクテリアは、三八億年前から能力を獲得・進化し続けながら今に続いています。

そして全ての生き物が三八億年という時間がなければ「今ここ」に存在していません。その時間は「命の重み」といえるものです。

かといって、「どんな命も失わせてはならない」と決めつけたら大変なことになります。毎日、野菜やお肉を食べているように生き物の命は、他の生き物の命の上に成り立っているものです。

だから「全ての生き物が同じように持つ重み」を感じて行動する。 これが絵巻から読み取れる二つ目のことです。

生きもののつながりの「中」にいる

人間もまた他のすべての生物と同じ一つの祖先から産まれた仲間で、三八億年という時間を体の中に持つという性質を他の生物と共有しています。

だから「扇を外れた場所」から「生物多様性を大事にしましょう」とか「地球に優しくしましょう」というのは間違いで、人間が生き物であるということは「つながりの中にいる」という感覚を持つことです。

人間もまた生態系のネットワークの中に存在し、抜け出すことはできません。かといって、これはマイナスの感覚ではなく、「生き物の世界の一員として生きること」の楽しさを探しましょうという提案です。 それが生命誌絵巻から読み取れる第三のテーマです。

そして「生き物のネットワークの一員にすぎないヒト」の特徴についても述べられます。

人は動物であり、同時に他の動物との違いもある

今の人類は二〇万年ほど前にアフリカで誕生したとされ、チンパンジーやゴリラ、オランウータンといった霊長類と比較した場合のヒトの特徴は 「二足歩行、それによって自由に使えるようになった手、大きな脳(大脳新皮質)と、言葉を持つこと」 とされます。

これらは生物全体の中でも際立って特別な能力であり、現代社会もこれらを生かして作られています。

そして「人間を見る」とは、

  • 三八億年の生物に共通の歴史
  • 二〇万年のヒトの歴史

を重ねあわせ、さらに

  • ヒトの特徴を生かして作り上げた文化・文明をも考慮する必要 があります。

そして霊長類の中でもヒトに近い、チンパンジーやゴリラの研究を引用し、その比較からヒトの特徴を挙げています。

まず教育。チンパンジーの子は、子が勝手に大人を真似て学びます。大人がわざわざ「教える」ということはありません。つまり「教育」は人間特有のものだということです。

そして創造力。これは言葉を獲得した結果産まれた能力とされていて、「直接眼に見えないもの」を、思い描く能力です。

「生き物の中のヒト」という考え方も、この想像力の賜物であり、宇宙の誕生や地球の誕生、細胞の中のDNAのはたらきを理解するのも創造力なしには成立しません。

そして、科学だけでなく日常生活でも、世界中がかかえる問題でも、遠いものに思いを致す能力が人間らしさであり、創造力を生かして暮らす社会を作ることが人間らしい生き方です。

また、哺乳類に不可欠の子育てにも人間ならではの特徴があり、祖父母が関わることもヒトの特徴とされ、またこれに関連して「社会性」も挙げられます。 役割分担や協同もそれにあたりますが、「互恵性」が特に人間社会の特徴であるとされます。

自ら進んで与え、与えられた人が与え返す互恵の行為は人間らしさだということです。

さらに道具を作ることや、道具を作る道具を作るのも人間だけであり、これが文化・文明へと発展します。

そして、同時に「生き物としてのヒトの特徴」を生かしていく生き方を考えていく時に、次の様な記述があります。

便利さとは早くできること、手が抜けること、思い通りになることであり、さまざまな科学技術は便利さをもたらし、それを生産することで経済成長が手に入りました。

私たちはこのような変化を進歩と呼び、そのような社会を近代化した文明社会、つまり先進国の象徴として評価し、この方向への拡大を求めたのです。

しかし、「人間は生き物であり、自然の中にある」という切り口で見た時、この方向には大きな問題があり、見直さなければなりません。
なぜなら、それが前節で述べた生き物としての特徴と合わないことが多いからです。

速くできる、手が抜ける、思い通りにできる。

日常生活ではとてもありがたいことですが、困ったことに、これはいずれも生きものには合いません。

生きるということは時間を紡ぐことであり、時間を飛ばすことはまったく無意味、むしろ生きることの否定になるからです。

同じように「手が抜ける」も気になります。

手塩にかけるという言葉があるように、生きものに向き合うときは、それをよく見つめ相手の思いを汲みとり、求めていると思うことをやってあげられるときにこそ喜びを感じます。

たしかに便利で快適な生活は、捨てがたいものがありますが、便利さを得ることは、同時にその分、「自分の手でできること」や「自分の手にしか出来ないこと」を減らす事にもなってしまいます。

かといって徹底的な「自給自足」は、それはそれで「役割分担や共同」や「互恵性」といった人間らしさを放棄することにもなりかねません。

当たり前のようにしている「肌の手入れ」ですが、私達の身体、そして肌も、三八億年という時間をかけて、すこしづつくられたものです。

世には手軽で簡単にすぐにキレイになれるかのような宣伝があふれています。
宣伝の真贋はさておいても、時には三八億年の歴史の重みを感じながら、よく見つめ、思いを汲みとり、手を抜かず、手塩にかけて「手入れ」をすることは、世間が言う利便性とは逆ですが、豊かさかもしれません。

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2014年8月7日01:01 / 投稿者:kazuyuki terada